2009年12月 8日

ドリアンの果実

果実は、受粉後3ヶ月ほどで成熟し、大きさは20-30cmほど重さは1-5kgほどになる。植樹後、5年程で収穫できるようになる。1本の木から1年で100-200個が収穫される。灰緑色をしており、外皮は革質で全体が硬い棘に覆われている。内部は5室からなり、各室に2-3個の種子がある。可食部は甘い香りとともに、玉ねぎの腐敗臭または都市ガスのような強烈な匂いを放つ。ドリアンの香り成分として解っているだけでも、エステル、アルコール、アルデヒドに属する26種類の揮発成分、及び8種類の硫黄化合物が存在する。強烈な臭いの元は臭い成分の一つ硫黄化合物1-プロパンチオールC3H7SHが核となり、その他さまざまな臭い成分が複雑に絡み合い作り出されている。

食べられるのは、種子の周りのクリーム状の部分で、果実全体に占める可食部分の割合は少ない。種子は焼くか茹でることで食べることが可能である。種子の食用はドリアンの産地でごく稀に行われるが、あまり一般的ではないため、ほとんどの場合に廃棄される。

ドリアンの果実は臭いが強烈なため、飛行機内への持込みが禁止されている。公共の建物やホテルも、持ち込み禁止にしている所が多い。 

近年タイではMon Thong(モントーン)という臭いを抑えた改良品種が作られ流通している。

東南アジアではドリアンを食べるとき飲酒すると死に繋がると信じられている。古くは18世紀に書かれた文献にも登場する。ガスによる腹内での異常発酵説、または高カロリーのドリアンとアルコールによる急激な高血糖説など様々な俗説がある。これまでにドリアンと飲酒による因果関係が証明された死亡事故は報告されていない。医学的な調査もされているが、食い合わせによる死亡に繋がる要素は発見されておらず、ドリアンとアルコールの食い合わせは迷信とされている。ネズミを使った実験では死亡例がなかったという報告がある。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ドリアン味のハイチュウが出たらしいです。是非欲しい。何も知らない人に食べさせたい!

激アツさいと111
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2008年4月 8日

新疆ウイグル自治区…

長い名前です。。

新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく・シンチャンウイグルじちく、中国語:新疆?吾?自治区, 拼音: Xīnjiāng Wéiwú'ěr Zìzhìqū。ウイグル語:?????? ?????? ???????? ??????, Shinjang Uyghur aptonom rayoni)は、中華人民共和国の西端にある自治区。ウイグル族の民族自治区であり、その領域は、一般に東アジアの一部として定義されるが、場合によっては中央アジアのトルキスタン地域東部(東トルキスタン)と見做される事もある。ウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)など様々な民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれている。なお、中国国内には、北京の経度を基準に標準時を1通りしか公式に認めないため時差は存在しえないが、新疆では非公式に北京時間より2時間遅れの新疆時間が使われている。

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歴史
伝統的には、テュルク系民族が多いことからペルシア語で「テュルク人の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれ、現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきた。一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いた。13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われた。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服された。

18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「新しい土地」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

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辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦後の1949年に最終的に中華人民共和国に統合され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、直後に開始された大躍進政策とその影響による飢饉のため、自治区の経済及び住民生活は大打撃を受け、1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡した。また、1966年には自治区内に文化大革命が波及し、モスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかった。

文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル人住民の中で、新疆における民族自治の拡大や、中華人民共和国からの独立を唱える動きが見られたが、1989年の天安門事件以降、こうした動きは当局の厳しい取り締まりの対象とされている。
(以上、ウィキペディアより引用)

歴史はそうとうなもんです!